恋煩い日記
2012年は毎日何かを書こう、という目標のもといろいろな創作をするブログになりました。
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佐伯主話。長いよ。
よし!
二日間でだいぶ頑張りました。ずいぶん長いことこの話、こねくり回していたんだけどこういう感じでまとまりそうです。
というわけで佐伯主の話を書きました。
サイトに出せないのは以下のような理由からです。
※ 注意!!
佐伯主(?)話です。
以前書いた「いつも、いつまでも」の時の佐伯の話です。
つまり
・高校卒業後、大学生の話
・デイジーや佐伯は成人済
・赤城デイジーに惚れていた佐伯です
・でも失恋しましたが、それでもデイジーのことが諦めきれていません
・デイジーとはオトナな意味で関係ありでした
以上を踏まえまして、7月の佐伯誕生日のときに書いたこの話の続きのような話です。
このシリーズでは不憫極まりなく、大変不幸だった佐伯さんに救いの手を。
しかし、大変長いです。
二日間でだいぶ頑張りました。ずいぶん長いことこの話、こねくり回していたんだけどこういう感じでまとまりそうです。
というわけで佐伯主の話を書きました。
サイトに出せないのは以下のような理由からです。
※ 注意!!
佐伯主(?)話です。
以前書いた「いつも、いつまでも」の時の佐伯の話です。
つまり
・高校卒業後、大学生の話
・デイジーや佐伯は成人済
・赤城デイジーに惚れていた佐伯です
・でも失恋しましたが、それでもデイジーのことが諦めきれていません
・デイジーとはオトナな意味で関係ありでした
以上を踏まえまして、7月の佐伯誕生日のときに書いたこの話の続きのような話です。
このシリーズでは不憫極まりなく、大変不幸だった佐伯さんに救いの手を。
しかし、大変長いです。
(いつからか、いつの間にか)
都合のいい女といえば、そういうふうに言えるだろう。
俺がたとえば、マンガやドラマに出てくるような女好きで暇さえあれば女を抱きたいと思っているような、そんな奴だったら、みなこという存在はとても都合が良かっただろう。
それとも「彼女いない歴=年齢」な、女にモテるなんて経験をしたことがない男でも嬉しがっていたかも。
なにせ、天原みなこは特に興味がない俺が見ても美しい(カワイイ、じゃない。美しいんだ)女だと思うくらいの美少女だ。それが四六時中俺が呼べばすぐにやってくるし、どんな要望でも基本的には聞くし、「佐伯くんのことが好き」だと俺にも俺以外の奴にも言ったりする。
そんな状態だから、俺とみなこが付き合っていると勘違いしている奴の数は、もしかしたら俺が思っているよりも多いのかもしれない。
ちゃんと確かめたことはないので、全て憶測にすぎないけれど、これらのことは、そこそこ間違ってはいないと予想している。
つまり、事情を知らない奴から見たら俺とみなこは単なる大学生カップルにしか見えないのかもしれないってこと。
そして、事情を知ってる奴なんてこの世には俺とみなこの二人しかいない。だから、俺たちはただの大学生カップルだったってこと。
「佐伯くーん。きたよー」
インターフォン越しにみなこの能天気な声が聞こえる。
お気楽にカメラに向かって手まで振ってる。肩に届くか届かないかの栗色の髪を、今日は左右に二つ結びにしていた。
「今開ける」
俺の声はマイク越しに届いたんだろうか、それともドア越しに聞こえたかも知れない。
鍵とチェーンを外すと、ニコニコと上機嫌なみなこが玄関に入ってきた。
「ねぇねぇ、ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ・た・し?」
「馬鹿。それは仕事から帰ってきた旦那を出迎えた奥さんが言う台詞」
「だって、佐伯くんは『珊瑚礁』やるんだからこういう機会、今しかないと思って」
みなこは俺の後ろをとたとたと歩いてついてくる。
……こいつ、鍵かけてたか? また忘れたんだろうな。何度言っても覚えないんだ。
みなこを先に部屋に通し、俺は珈琲を入れる準備をしながらやっぱり閉まっていなかった玄関の鍵をかけた。
俺の部屋だからと思って油断しているのか。それとも普段自分の部屋でもこうなんだろうか。俺はみなこの部屋に入ったことがないので分からない。分からないけれど、みなこのことだからもしかしたら不用心に戸締りのことをうっかり忘れることもあるんじゃないかと思う。
危なっかしくて仕方がない。いろんな意味で。
俺の世話焼きの血が騒ぐ。まったく、手がかかる女なんかもう好きにならない、と決めたはずなのに。
いや。まだ分からない。
俺はみなこのことを好きになっているんだろうか。それとも、まだあいつのことを忘れられないでいるのだろうか。
みなこは勝手にくつろいで、机の上にある本を持ち出してパラパラとめくっていた。
この前買ったばかりの喫茶店開業のためのハウツー本だ。この手の本は探せば結構いろいろ見つかる。今は勉強するときだと思って、古いのから新しいのから、とにかくなんでも読んでみることにしているので、本はたまっていく一方だ。
テーブルの上にコーヒーカップを置いて、みなこの隣に座った。熱心に本に目を通す自称人魚は、いつもほんのりだけど花のような、どこか懐かしいような不思議な香りがする。四六時中珈琲の香りが染みついている俺の部屋ではそれがやけに目立つような気がした。
「珈琲淹れたぞ」
「うん、ありがとう」
珈琲と一緒に、たまたま昨日作ったスコーンを生クリームと一緒に出してやった。
わぁいと歓声をあげて、みなこはそれを手に取る。
「わたし、王子様がお料理もできるなんて知らなかったよ。お城に料理長はいなかったの?」
めくっていた本を膝の上に置いて、みなこは俺の方を見上げる。
「あのな。俺は普通の家に生まれたの。城もコックもいないの」
「わかった! 海に行ったときに記憶がなくなっちゃったんでしょ。そうでしょ!」
「あのな、人の話を聞けよ」
平たく言うと電波。
百人が見たら百人が「かわいい」と言う容姿を持ち、勉強もスポーツもなんでもできるほぼ完ぺきな美少女なみなこがこの年になっても恋人も作らずに俺なんかに付きまとっているのは、これが原因だった。
尤も、みなこの場合の虚言妄想にはすべて「自分は人魚でお姫様、いつか灯台の伝説と同じように漁師の若者な王子様が自分を迎えに灯台に来てくれる」という前提が根っこにある。
それさえ分かっていれば、みなこの意味不明な言動はほとんど説明がついてしまうのだが、いかんせん羽ヶ崎の灯台の伝説ははね学出身者以外には案外伝わっていないらしい。
そんなわけで、美しくて万能なみなこに近づこうとする男たちは、ことごとくこいつの性格に打ちのめされてすごすご逃げ帰るっていうパターンがずっと続いている。
それだけならば俺と関係のないところでやってくれればいい。なのに、どういうわけかみなこの中では俺がその「漁師で王子」ということになっているらしい。
俺はあの日灯台で人魚に告白したけど振られた、漁師のなりそこないなんだって。いい加減、傷をえぐらないでほしいけれど、みなこにそんな空気を読むなんていう真似ができるわけがない。
むぐむぐ、と子供のようにスコーンを食べる顔を隣でぼんやりと見つめる。
「人魚と若者の仲を引き裂きたい敵はいっぱいいたからねぇ~。恋にライバルはつきものだよね」
分かるような、分からないようなことを言っているけれど、「ライバル」というのはなんとなく分かるような気がする。
俺の場合、ライバルになる以前に勝負の土俵にすら上がってなかったわけだけどな。
自嘲気味にふ、と鼻から息を漏らす。
「でもさでもさ。もうわたしたち、再会できたんだから隠さなくてもいいんだよ!」
なぁみなこ、そういう話は口いっぱいにスコーンをほおばりながらする話なのか?
はばたき学園には昨年くらいから「ローズクイーン」とかいうミスコン的なものが始まったらしいけれど、俺らがいたころにはね学にそれがあったら間違いなくダントツで、しかももしかしたら三年連続で受賞しそうなくらいの見た目のお前が、そういうことをするなよ。
モテるモテないは置いておくとしても、女の子として残念すぎる。
俺は鼻から息を吸って、今度はため息として吐きだした。
「俺は漁師の若者じゃないって。何度言ったら分かってくれるんだ?」
「そんなわけないよ。だって佐伯くんは王子様だもん」
「だからさ、漁師の若者は漁師だから王子じゃないんだって。漁師は王子になれないだろ。お前、そこおかしいの分かってるか?」
「ぷん! そんなの知らないもん! 王子様は漁師の若者で灯台から人魚のことを迎えに来てくれるんだもん!」
「だから、それいろいろ混ざっておかしくなってるって……」
「思い出してってば」
頬を膨らませて怒ったような表情をするみなこも可愛い、とか思ってしまうのは男のサガなので許してくれ。別に、俺はみなこに恋愛感情を持っているわけじゃない。好きだとか惚れたはれたはもう懲りたから、少し遠ざかっていたいんだ。
けれども、そんな俺の事情などみなこが聞き入れてくれるはずもない。
いつものように俺が口をはさむ暇さえ与えずに「王子様を待ち続ける健気な人魚の私」論法を繰り広げてくる。こいつはこれを俺に聞かせてどうしたいんだ、同情でもひきたいのか。
それにしても、こいつが語る「人魚と若者」の伝説はどうも俺が知っているのとはいくらか話が変わっている。
まあ、伝説とかおとぎ話なんて言うのは口から口へ伝わって真偽も定かじゃないものなんだから、少しくらい話が違っていても不思議はないんだけど、小さなころからじいちゃんの店で伝説を何度も聞かされて、しかもつい最近まで愚かしくもそれを信じていた俺にとって、『珊瑚礁』ではないところで、じいちゃんのとは違う伝説の話を聞かされるのは少し居心地が悪い。
居心地の悪さを引きずったまま、空になったみなこの皿にスコーンのおかわりを差し出した。あまり量は作っていないけれど、俺は自分で作るだけで食べる方はそんなに好きではないから、なんにしろこうして喜んで食べてくれるのは助かる。
みなこは「いいの! 食べて!?」と目を輝かせ、それから図々しくも生クリームのお代わりも要求してきた。
「いいけどさ。たくさんあるから」
「わぁいわぁい。だってこれ、おいしいんだもん。どこのケーキ屋さんのお菓子よりも、佐伯くんの作るお菓子がおいしいよ?」
「そりゃどーも。俺はパティシエじゃなくてバリスタになりたいんだけどな」
「バリスタじゃなくて王子様になってよ。わたしのプリンスになって!」
「王子はもう懲り懲り」
「そういえば、文化祭の王子様もカッコよかったよねぇ~」
「どこが?」
高校の文化祭の、あの学芸会のような(実際、学芸会のようなものだけど)人魚姫の王子の服を思い出す。
ああ、また思い出してしまった。あいつが人魚姫の役をやるって決まって、相手役とダンスしたりキスシーンがあったり、酷いシナリオだって聞いて……それで俺、立候補したんだ。馬鹿だったよな。
あの時の恥ずかしさを思い出していると、みなこがなぜか胸を張った。
「あの衣装、わたしがデザインしたんだよ。佐伯くんがいちばんカッコよく見えるように頑張ったんだよ」
「お前か、犯人は……!」
思わぬ告白に、手をチョップの形にして構えると、みなこは何かを察したらしく手に持っていたスコーンを口に入れてその場から逃げる体勢をとった。
俺はそのまま手を振りおろそうとして……。
それはやめて、代わりにみなこの唇の横についた生クリームを人差し指で拭った。
「行儀が悪いぞ、人魚姫」
大きくて真っ黒で、俺のことばかりいつも見ているみなこの目が、少し揺れたような気がしたけれど、俺の視界からはもう焦点が合わなくなっていてよく確かめられなかった。
-----------------------------
若者は海に向かって船をこぎ出しました。そして、それから若者の姿を見たものは誰もいませんでした。
こんなところで終わっている昔話なんておかしいと思う。お姫様と王子様のお話はハッピーエンドって昔から決まっているのだから。それこそ、昔話が昔話じゃなくて現実の話だったころに話されていた昔話だってラストはみんなハッピーエンドだったに決まってる。
だからわたしね、続きを作ったの。ちゃんと絵も描いたんだよ。
大事に大事にしまってあって、誰にも見せていないのだけど、特別に聞かせてあげるね。
******
若者は、来る日も舟を漕ぎました。海に戻っていってしまった人魚が住んでいる海の王国を目指して。
そしてある日、とうとう若者は海の王国に辿り着きました。そこは人魚のお父さんである海の王様がおさめる、お魚も人魚も、海の生き物たちが幸せに暮らすとても大きくて美しい国でした。
人魚は若者と会えたことに喜びましたが、人間がやってきたことに怒った海の王様が、若者の記憶をすべて消してしまったのです。
人魚と恋をしたことも忘れてしまった若者は、人間と一緒に暮らしたいと、海の王国から去っていきました。
残された人魚は、今度は自分が若者を探しにいく番だ、と海の王国を飛び出しました。
そして、海の王国には帰ってきませんでした。
******
佐伯くんを一目見たときにすぐにわかった。あ、この人がわたしの王子様だって。
小さいころからずっとずっと探していた王子様。本当は愛し合っていたのに仲を引き裂かれてしまった私の恋人。
私のことを覚えてなくてもしようがない。だって、若者は記憶を消されてしまっているんだもの。
他の女の子を好きになっていたっていいの。きっと、思い出してくれるから。
だって、人魚と若者は最初はとってもとっても愛し合っていたんだもん。
******
人魚は人間の国で再び若者を見つけました。
二人はどんなに離れていても必ず巡り合えるのです。それが二人の運命だからです。
記憶を失った若者は、人魚のことを忘れていましたが、人魚はいつも彼のそばにいて、彼のことを見ていました。
いつか、人魚のことを思い出してくれたときに若者の近くにいたかったから。
そして、若者は人魚のことを思い出しました。海の王様の力も、愛の力には敵わなかったのです。
漁師の村の人たちも、海の王国の人たちも、誰も知らない二人だけの場所で、二人はずっとずっと幸せに暮らしました。
******
ほらね、ハッピーエンドでしょ。
佐伯くんだって、人魚のこと、忘れちゃってるだけなんだ。
わたし、佐伯くんの言うことは何でも聞く。してほしいことも、したいこともぜーんぶ全部。
そしたら、いつかきっと佐伯くんは人魚のこと思い出してくれるから。
物語の結末はハッピーエンドって、昔から決まってるんだよ。ね、佐伯くん。
-----------------------------
最低だ。
衝動的に身体が動くなんて。そんなとこだけ動物並みだ。
「佐伯くん、すきー。早く人魚のこと、思い出してね?」
今日もみなこはそう言った。そんで、細っこい腕で俺にしがみついてくる。
俺はそれには答えられなかった。「俺も好きだよ」そう言ってやれれば、どんなにかいいと思うのに、まだ俺はみなこのことだけを好きにはなれないでいる。。
俺が何も答えないことで、あいつがどういう気持ちになるのか俺はよく知っている。今までずっとそうだったから。
自分だけが相手を好きでいるんだ、と思い知らされる時の気持ち。それから、相手はこれからも自分のことを好きにはなってくれないんだろう、と思う気持ち。
そして、
「でも、いいよ。一緒にいられれば今はそれでいいんだー」
俺のことを好きじゃなくてもいいから、それでも一緒にいたいと思ってしまう気持ちもよく知ってる。悔しいことに。
あいつが笑顔でいてくれれば、俺だってそれだけでいいと思っていたんだ。俺がいることで、少しでも気が楽になってくれれば、俺のことを好きになってくれなくたっていいって。
我に返った時にはとても辛くて、もう辞めたい、あいつの心が手に入らないのならもう会わない方がいいとすら思えるのだけれど、でもやっぱり顔を見てしまえば、もう会わないなんてそんなことに俺自身が耐えられそうになくて。
好きだから会いたい。話がしたい。笑顔が見たい。幸せでいてほしい。そう願う気持ちと同じくらい強く「俺のことを好きになってくれ」と願った。結局、カミサマは前の方の願いだけ聞き届けてくれたみたいだけど。
俺は、この前までの自分と同じ思いをこいつにさせている。
酷いことをしているという自覚があるのが更に悔しい。
「一緒にいられればそれでいい」なんて、それが嘘だってこと、俺がいちばんよく知っているのに。それを口に出さなければならないとき、心臓が止まりそうなほどにぎゅっと小さくなるあの感覚を知っているのに。
とろとろとまどろむみなこを見下ろしながら、俺は自分で淹れなおした珈琲を飲む。
あの頃のようにいい豆も使えないし、もちろん「珊瑚礁ブレンド」だってブレンドできない。好きなことに対してまで妥協しなければならない貧乏学生な自分の身分が少し恨めしかった。
結局、高校を卒業しても俺は子どものままで、自分のしたいようにできることなんてあまりにも少なかった。
さらさらと床に散らばるみなこの髪を眺めながら、触ってみたいな、と思った。
「うまくいかないな……」
「うん? 何か言った?」
「いや、別に。おまえ、時間平気か?」
「大丈夫。もう少し寝てもいーい?」
「ああ」
柔らかい髪をなでると、気持ちよさそうにみなこは目を閉じた。
こういうとき、あいつもこんな思いをしていたのだろうかと、ここにはいない奴のことを少し考える。
だったらいいな、と子供みたいに思った。少しでも俺のことを考えてくれていたなら、今はもう、それでいいや。
本当は分かっている。いつまでもみなこをこんなふうに引きとどめていてはいけないっていうこと。
いくら俺のことが好きだって言ったって、こんな俺のことを好きになったりしない方がいい。こんなふうに、好きな人の幸せを笑って願うこともできずに、自分の欲ばっかり気にしてるような、それなのに一人ぼっちになるのは嫌で、自分に向けられた好意を利用するような真似をする男が、他人を幸せになんてできるわけがないんだ。
だから、もう会わない方がいいんだ。
会わなければこいつのことだ、誘いには困らないだろう。
これで最後だと思うからだろうか、みなこの寝顔はいつもよりも三倍増しで美しく見えた。
「おまえ、もうここに来るなよ」
玄関で靴を履いて、とんとん、とつま先を地面にぶつけているみなこの後姿に、俺は無造作に声をかけた。
電気をつけていない玄関は薄暗くて、みなこが着ている白っぽい服だけがやけにぼんやりと明るく見えていた。
俺は、壁に片手をついてそこに寄りかかるように立っていた。
みなこは、俺の声が聞こえたのか聞こえなかったのか、しばらく何も答えずに靴を履くのに集中していた。女の靴は大抵そうだけど、今日のもなにやら手間のかかる靴らしい。
聞こえなかったのかも、と思って俺がもう一度口を開こうか、と思ったときに、ふいにみなこがこちらを向いた。
「なんで?」
「……そのほうがお前のためだから」
「わたしの? 佐伯くんのお家に来ないことがわたしのためになるの?」
「ああ」
この部屋に来ないだけじゃなくて、もうこうやって会ったりしないし、話もしない。だからもう、俺のことなんか忘れろ。好きになるな。
本当はそう言わなきゃいけなかったのに、もう口の中がカラカラで一言だって喋れそうもなかった。
みなこはちょっとだけ考えるようにキョトンと上の方を見上げて、それから目線を俺の方に戻してきた。
その顔はいつものように美しくって、うっすらと笑顔ですらあった。
「わかった。もう来ないね」
大きな瞳に、俺が映っているのが見えた。薄暗かったのになんではっきりと見えたのかはよく分からない。けれど、みなこの瞳の中の俺は舌打ちしたくなるほどみっともない表情をしていた。
ずるり、と壁から手が滑る。ちがう。膝に力が入らなくて、床にへたり込んだんだ。
「佐伯くん? どうしたの? 具合悪い? だいじょうぶ?」
慌てたようにみなこがしゃがみ込んで俺に顔を近づけてくる。
その顔は大真面目で、本当に本気で俺のことを心配しているんだって分かった。こんな最低な俺のこと。
みなこが動いたせいでふわり、とまた花のようなみなこの香りが俺の鼻にとどいた。
「佐伯くん? ねえ」
「大丈夫だ」
「ひゃぁっ!?」
うつむいていた顔をあげると、思ったよりも全然近くにみなこの顔があって、俺も驚いたけれどみなこはそれ以上に大げさに驚いて後ろに飛びのいた。
そのまま後ろ向きに倒れそうになるみなこの腕を咄嗟につかむことができた。力任せに自分のほうに引き寄せる。
「ひゃぁぁぁぁっ?」
「……ふう」
「あ、ありがと、佐伯くん」
「ああ」
腕が引っこ抜けるかと思った。みなこの声が耳元で聞こえた。
ああ。どうしてこいつは今、この俺の前に現れたんだろう。そして、どうして三年前に俺の前に来てくれなかったんだろう。
なにを恨めばいいのか、なにを呪えばいいのかもう分からない。俺は自分で自分が信用できなくなってしまった。
息を吸い込む。口の中はまだカラカラだ。唾液も出ない。その水分は今、もうちょっと上の方でこぼれ出る寸前になってる。だから、多分、変な声が出る。
構うものか。
「嘘。もう来ないとか、そんなこと言うなよ」
「さえきくん?」
なあ。ごめんな。
俺、あいつのことまだ好きだけど。
でも、お前のことも、すきなんだ。
やっぱり俺、カッコ悪。最低。
-----------------------------
朝は弱い。けれどこの曜日の一限だけは必ず出席する。
コンタクトレンズがいま一つしっくりはまらない眠たい目をこすりながら教室に入ってぐるりと見渡すと、端っこの真ん中から後ろの方でみなこが手を振っていた。
「おはよう」
「……はよ」
「眠そうだね」
「まあな。お前は朝から元気だな」
「うん」
みなこの隣に座る。
みなこは机の上にノートを広げていた。けれども、授業のノートではない。なにか鉛筆で落書きしていたらしかった。
覗き込んで、顔をしかめる。
「またそれか」
「うん。もうちょっとでできるよ。そしたら佐伯くんにあげるね」
「もういいよ、いっぱいあるし」
「まあまあ、遠慮しなくていいから」
「遠慮なんかしてない」
本当に、話が通じない奴だ。なんだか楽しそうにしているからいいけど。
海の中の人魚と一人の男の絵を描き続けるみなこは、快調に鉛筆を走らせている。
いいけどな。
あれから、こんな感じだ。
はっきりと付き合っているわけではないけれど、なんとなく俺はみなこが近くにいることを許しているし、俺もみなこの近くにいる。
学食で会えば一緒に昼食を取る。時々、メールが来る。俺からも時々メールをする。返事が遅いと怒られる(けれど、改善する気はない)。待ち合わせをして、一緒に帰る。途中でスーパーに寄って夕食の買い物をする。無駄遣いをするなと俺が怒り、美味しいものを食べたいとみなこがわめく。
なにかが変わったようで、実際にはあまり変わっていないのかもしれない。
つまり、事情を知らない奴から見たら俺とみなこは単なる大学生カップルにしか見えないのかもしれないってこと。
「どーして、にんぎょと若者はケッコンしたらいけなかったんだろうね?」
スーパーの買い物袋をぶら下げたみなこが能天気につぶやく。
さっきまで空は一面すごい夕焼けだった。明日も晴れるんだろう。今は夕焼けも消えて、空は濃い藍色に包まれている。
スーパーの買い物袋をぶら下げて、俺もぼんやり答えた。
「さあ。種族が違うからじゃないか」
「じゃあ、わたし人間になったからもうケッコンしても大丈夫だよね」
「まだ俺は結婚する気はないよ」
「じゃあ、いつ?」
……さあね。
正直、俺はまだ珊瑚礁のことだけで手一杯で、先のことなんか分からないけど。
でも、あいつのことを思い出すことは少なくなった。かといって、いつもみなことのことばかり考えているわけでもない。
だから、今まで俺の心の中であいつがいたポジションにみなこがとって代わったわけではない。そう簡単に世の中はできてないみたいだ。
みなこは、やっぱりみなこだ。歩いてるだけで人目を引くほどに美しくって、勉強も運動もできる完璧な優等生。だけど時々海の底からの電波を受信してしまうちょっとおかしな人魚姫。
みなこは俺の中に無理やり居場所を作ってしまった。それは、珊瑚礁のことや、学校と生活のことと同じくらいに大きなスペースで、正直今まで俺の許容量はそんなものを受け入れられるほどに大きくなかったはずなのに、どうしてだろう、すごく自然にあいつはそこにいるのだった。
あいつのことを想っていたのと同じようにみなこを想っているわけではない。あんな風に人を好きになることは多分もう、ないのかもしれない。
けど、そうだな。
珊瑚礁の海に潜ると、俺の周りに集まってきてくるくる泳ぐ人懐こいイルカみたいに、いつか俺が珊瑚礁を再開させたときも、みなこが近くにいてくれたらいい。
そうしたらきっと、俺はその時、今度こそ、みなこが望むような伝説の若者になれるんじゃないかって、そんな風にはよく思うようにはなったかもな。
わたし、この佐伯くん好きだわ。
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